2021年2月20日
実は、私が高校時代(もう半世紀近く前の話ですが・・)に通信添削『オリオン』(現在ではもうありませんが・・泣)というものがありました。当時もZ会はありましたが、それと肩を並べるほどのレベルを誇る通信添削の会社でした。というか、他のみんながZ会をやっているので、私はちょっとへそ曲がりのところがあって、自分は時流に乗るのは嫌だ・・・などと思っていたんです。
この通信添削には本当にお世話になりました。高1から英・数・国の3科目を取り始めて、週末はほとんどその問題と格闘していましたね。 特に英語の問題は本当にレベルが高く、1つの長文を理解するのに、辞書・参考書等々を紐解き(ひもとき)ながら、3~4日ほどかけたこともあったほどです。今振り返ると、あの時の苦労が私の英語力の大きな土台になっていたと感じています。
そこの英語の添削者の多田正行先生(数十年も前のことなのでもし名前が間違っていたら、許して下さい)の出された書籍『思考訓練の場としての英文解釈』という幻の名著(下手に手を出すと焼けどするほどのレベルですので、皆さんにはお薦めしません・・)がありました。
この本で私の英文解釈力は引き上げられたといっても過言ではない位です。
この本が他社から最近復刻されたと聞いて、とても嬉しく思っています。
ところで、通信添削の英語の問題と格闘した・・なんて格好いいことを書いちゃいましたが、でも本当なんです。
例えば、当時は10数行~20行位の長~い文章がバーンと出題されて、『全訳せよ』なんていう、今では考えられないような問題が、もてはやされていたんです。
それがいいか悪いかは別として、それを解いていくと、どうしても分からない文にぶち当たるんですね。
辞書を引いても、参考書を見ても分からない・・。単語は全部分かるんだけど、文のつながりがどうしてもつかめない・・なんていうことがしばしば起こるのです。
そういう時、どうするか?っていうと、通信添削ですから、答えは後日にならないと見れない(オリオン社はそういう制度でした)し、誰かに聞くわけにもいかないし・・・。
そんな時は、一旦解くのを止めて、別のことをやるんです。例えば数学とか、社会とか関係のないことをやって、アタマを休めて(??)、それから再度取り掛かるんです。ある時は日をまたいで取り組むこともありました。
数日かけて『う~、くそ~』とか唸りながら、通学途中の電車の中や、トイレの中(くさ~)でも考え続けました。
で、ある時にぱっとひらめくんですね。
『あっ、そうか!』てな感じで、急いでその長文に戻るんです。
時には正解が送られて来るまで考え続け、正解を読んで『なるほど!』と合点することもしばしばでした。
でも、そうやって時間をかけて考えてから、正解・解説を読むと、『ストーン』と腑(ふ)に落ちるんですよ。苦労した分だけ、ものすご~くよく分かっちゃうんですよ。その時に感じた快感に近い感覚が、自分の読解力の土台になっていると感じます。
あの時、それほど考えないで、ぱっと正解を見ちゃったら、楽だったかもしれないけど、あんまり力はついていなかっただろうなぁと思うんですね。あの時苦労してよかったなぁ!と今になってしみじみ思うのです。
だから、問題に取り組む際には、自分なりに苦労せよ!って言いたいのは、そういう背景があるからです。
とりわけ『読解力』というのは、そうやって養われていくものだと信じて疑いません。単に単語を沢山知っている・・とか、文法知識があるというだけではない、何というか、形や言葉では言い表せないものだという気がするんですね。
ですから、皆さんも時間が取れる時は、そうやってトコトン考える経験を、一度はお試しあれ!(もちろんある程度実力がついてからの話です)
あ~ぁ、でもね、数学は別でした。あれは、私にとっては別世界の学問でしたから・・・。ハイ。全く苦手な場合は、すぐに正解を見るのもいいのかもしれません。