英語の本を読むことの意味
最近改めて、心に留まった言葉を書き綴ってみたいと思います。
『本を読む時には、ただ並んでいるだけの英単語を、意味のある英文に構築していく作業を頭の中でしている』(帰国子女に通用する英語力の作り方:川合典子著)という言葉です。
当たり前といってしまえば、その通りなのですが、こういう風に表現した著者の視点の切り取り方を斬新に感じました。
確かに英文の中の各単語はただ並んでいるだけです。そこには下線はおろか、マーカーも引いてありません。カッコもついていません。当たり前のことです。でも読者は語順通り読みながら、意味を成し、言語としての機能を果たせる英文を頭の中に構築する練習をしているのです。
そして著者は次のようにも言います:『1時間読書したら、超高速英作文を1時間やっていたこととほぼ同じです』と。
それは、日本語から英文を構築するのではなく、本の中に書かれている英単語から英文を構築しているのだと彼女は言います。
そして、著者は自身の経験から、こう言います:『その結果、読書を続けると、言いたいことが英語で頭の中に浮かんでくるようになるのだろう』と。
そして、このように自身の経験を話します:『子供たちの宿題を見る必要がなくなった夏休みに、朝から晩まで本を読みました。』そして『すると、8月の終わりには、日本語で何か思うと、それと同じ内容を表す英語の文章が反対側で流れるようになりました。』
私は、これらの言葉を読み、深く感動を覚えています。本当に英語を話し、聞き、書くという技術は表面的な努力から生まれるものではなく、言語本来の学び方に由来するものだとつくづく思います。
日本人が何故意識もせずに正しい日本語を話せ、書けるのか?それは小さい時から、営々と活字を読むことを通して、私たちが培ってきた営みの結果なのだろうと思うのです。